妖精は今日もそっと森の奥へ出かけていきます。
妖精たちのしごとは、小さなこころの粒が消えないように記録すること。
魔法録はそんなピクトの粒を 妖精たちがつないだ“風の記録”なのです。
ピクト哲学とは
哲学とは、ひとつの答えを探す学問ではなく、問い続けていくひと粒の学び。
哲学者と呼ばれた歴史の先人たちは、内に芽生えた問いを、ことばという形で世界へ残した。
妖精は思う。
残せたひとは、よかったねって。
でもね、
偉人と呼ばれた人だけが哲学を持っていたわけじゃない。
たとえば、地べたを歩く妖精のように、ことばという形に残せなかったひともいる。
ことばを知らず、世界をしらず、ただ営みを繰り返しながら、何かを残したいという願いすら知らずに。
それでも、祈りのようにひっそりと息づいた名もなき思いの粒は確かにあった。
ピクト哲学は、その「残らなかったはずの思想」もすくいあげたい。
にんげんが日々の中で見つけた小さな問い。
まだ名前のついていない感情の断片。
気づかれず通り過ぎていった景色。
それらをちいさな《 ピクト(象徴)》として切り取り、ひとつの問いとして見つめなおす。
答えはなくてもいい。
ただ問い続けることそのものが、にんげんの生きる証になる。
にんげんは、生まれながらにして哲学者。
いきるということは、つねに何かを問いかけながら歩くこと。
妖精は思う。
ピクト哲学は、その証をそっと灯すための、ちいさなひと粒だと。
そしてそのひと粒は、この魔法録のすき間に、いつもそっと降りそそいでいるのだと。

ぷちらてす(ぷち)