On January 12, the release of 『lulu.』🍃

【コロンブス】引き返せない航路

魔法録の妖精がミセスの作品『コロンブス』に寄り添い紡いだ物語。
これは、単なる歌詞の考察ではなく、作品を深く掘り下げ、その背景や思想、そして世界観までを含めて体系的に分析・研究した「作品論」です🍃

を経て見えたコロンブスの航路


ずっと書きたかったけど、書けなかった、コロンブスのお話。
この曲が、どこに置かれるべきなのかが、ろろんには、ずっと分からなかったんだもん。

バベルが語られ、バベルが開催され、その時間を経て、ようやく思えた。
あぁ、この曲はそのあとで書かれるのを待ってたんだもん、って。

今なら書けるもん。
ろろんはそう思ったの。
だから、水面に浮かべに来たもん。

ロンブス


タイトルが、すでに異彩を放ってるもん。
これは実在したにんげんのなまえ。
この人を知らないと、この物語をほどくことができないもん。
だから、先に書いておくもん。

コロンブス

15世紀の後半くらいから16世紀にかけて活動してた航海士だもん。
生まれはイタリア。
若いころから航海や交易に関わってて、海の世界をよく知ってた人。

当時のヨーロッパはアジアと交易したがってた。
お金にも権力にもつながるお宝がアジアにあったから。
でも、陸の道は不安定で、海の道も限られたルートしかなかったの。

そこでコロンブスは、ある考えを信じて行動するんだもん。
「地球はま~るいんだから、西に進めばインドにつくんじゃね?」って。
そして、航海の計画を立てたんだもん。
(インドっていうのは国じゃなくて、今でいうアジアの東方のことだもん。)

でもこの大航海はひとりでは実現できないもん。
だから、いくつもの国に計画を持ち込んだんだけど…。
「…お金がかかりすぎるやん」
「…距離の計算が甘いわ~」
「…それ、現実的やないで~」
って相手にされなかったもん。

でも、あきらめなかった。
好奇心もあったし、野望もあったから。

そしてついに、スペイン王室の支援を受けられることになった。
コロンブスは、1492年、西へ向かう航海に出発。
この航海で新大陸を発見することになる。
これが「アメリカ大陸発見」に名を刻んだコロンブスなんだもん。


…あれ?
…ちょっと待つもん。

コロンブスが向かったのは、インドだったんだもん。
なんでアメリカ大陸発見してるんだもん?


そう。
たどり着いたのはインドじゃなかったもん。
でもコロンブスは、そこが新しい大陸だなんて思いもせずに「インドに着いたぞー!」って喜んだ。
自分は、インド航路を開いた英雄だと信じて疑わなかった。
そして、そう思ったまま、生涯を終えたもん。

後に「あれ?ここはインドじゃなくね?」って別の探検家(アメリゴ)が指摘した。
その人の名前から大陸は「アメリカ」と呼ばれるようになったもん。
でも、その場所に最初についたのはコロンブス。
本人はインドだと思ってたけど、歴史が整理されて「アメリカ大陸を発見した人」として語られてるんだもん。


でも、このお話には続きがある。

こうして「新大陸発見の英雄」として称えられたコロンブス。
でも、歴史が整理されていく中で、コロンブスは支配や抑圧の象徴としても語られるようになったんだもん。

『コロンブス』という曲に込められた思いも、きっとここにあると思うもん。
だから、目をそらさずに、記すもん。


大陸に到達したコロンブス。
それは確かに、世界を広げる大きなきっかけだったもん。
でも、発見された側から見れば、ある日突然ふりかかってきた出来事だった。

当時、発見は侵略と切り離せなかった。
それは特別な悪意というより、世界の当たり前の仕組みとして、そこにあったんだもん。

コロンブスが辿り着いた場所にも、すでに人々の暮らしがあり、文化があり、積み重ねてきた時間があった。
発見した側は広げるために、発見された側は守るために、戦いを余儀なくされる。
争いは避けられず、弱者は追いやられ、奪われ、文化や価値は失われていったんだもん。

そうして、勝者と敗者が生まれ、光と影が刻まれていったもん。

コロンブスが描いていたのは、航海の先にある成功と栄光。
その先の傲慢や支配を、どこまで思い描いていたのかは、わからない。
それでも、コロンブスの航海のゴールは支配と抑圧が始まる流れの中に置かれていった。
それは消えない歴史の足跡…。
「発見」の裏側で、確かに起きていた現実なんだもん。


この現実が、ろろんがタイトルに異彩を感じた理由。
だって、この名を持ち出すこと自体に、強い意味を帯びるから。

だから、その名を、タイトルにしたことには意味があるって思うんだもん。

説明へたっぴで ごめんね もん。
ここからは楽曲『コロンブス』のお話もん。

えた歴史を紡ぐ


『コロンブス』は歴史を説明しようとしてないもん。
英雄を讃えてもないし、断罪することもない。
だって、冒頭から歌われるのは「発見」じゃなくって 寄り道 なんだもん。

気まぐれにちょっと寄り道をした500万年前

500万年前って…?

コロンブスが大陸に到達したのは、今から500年くらい前のこと。
でも、この曲はもっともっと遠い昔に寄り道をする。

500万年前。
そこにはまだ言葉はないもん。
文化もない、そんな遠い昔のはじまりの頃。

類人猿という、大きなまとまりの中から、ひとは、二本の足で立ち上がる方向へ進み始めたもん。
ひとが社会や文化を築く、そのずっと手前の「にんげん」の入り口あたり。

そんなにんげんの進化の始まりの時代だもん。

そこにはまだ、社会はない。
ひとと関わることの意味すらわからない。
だって…。
そこにはまだ「言葉」がうまれてないんだもん。

やがてひとは…。
二足歩行をすることで「進んでしまう時代」に立つ。
遠くまで見渡せるようになって、道を作り始める。
自由に使えるようになった手で、希望を掴もうとする。
できなかったことができるようになって、選択肢が増えていく。
そして、ひとと関わりながら時代を作る。

そんな「にんげん」の入口に、寄り道をしたのはなんでなんだもん?

酸のあぶく


偉大な大発明見つけた細胞
歴史に刻まれるような祝福を浴びる出来事も、大きな海に消える泡。
だから、栄誉と祝福に囲まれる歴史的な賛辞は 炭酸の創造

まるで儚い拍手のようにパチパチはじけて消える泡の音が聞こえてくるもん。

2017年『soFt-dRink』の炭酸も脆く儚い泡だったもん。
いつかは忘れていくそんな青い季節がそこにはあったもん。

この『コロンブス』で喩えられているのは、文明の進化とともに、消費されていく泡のような賛辞。
それは、ひとときの喉を潤す救いの泡であり、儚く脆い泡。
「にんげん」はその儚さを、創造しつづけ歩んでるのかもしれないもん。

き返せない場所


泡みたいに脆く儚いものだったとしても、目指してしまう。
それは、きっと 不安だけど確かなゴール

その場所に到達できた喜びはきっと大きい。
でも、目指した光を追い求めるとき、ひとは視界が狭くなるんだもん。
行きたい。
知りたい。
その胸の高鳴りだけが道しるべになる。
だから、何を踏みつけ、踏み越えているのか、きっと気づけないんだもん。

コロンブスは、まさにその位置に立ったなまえ。
西へ行けば辿り着くと信じ、舟を操り、到達した。
それは、彼自身のゴールだったもん。

彼は到達をよろこんだ。
その到達は、確かに光だった。

でも、その光が立ち上がるために何が失われたかを見ようとしなかった。
自分がどこにたどり着いたのかさえ、確かめようとしなかった。
コロンブスは、自分が背負ったものの重さを知ろうとしなかった。

なのに歴史は動いてしまったんだもん。

ゴールって、きっと引き返せない場所。
そこに至る光も影も、すべてを背負う覚悟がいるんだもん。

そして…。
日常の中で ちょっとした奇跡 に心を止めて考える。
奇跡には 意味はないけど、きっかけをつかまえることはできるもん。

そうした学びの中で生まれる 美学 にはもう 意味しかない もん。

あとは まだ まだ まだ 気づけていない 大切を、引き受けて歩む。
それが、「進んでしまったにんげん」の在り方かもしれないもん。

引き返せない場所と引き換えに、まだ まだ まだ 気づけていない 大切を、今日も学んでいくんだもん。

繰り返さないために、
まるで戒めのように、
元貴まるは、今日を生きる学びを綴っているように思えてくるんだもん。

んげんのお話


もうわかってる。
『コロンブス』はコロンブスというひとを歌ったものじゃないもん。

この曲が歌うのは「にんげん」。
「にんげん」そのもののお話だもん。

歴史に住まうコロンブスは、希望と欲望、征服と支配、この摂理をすべて背負った学びの箱だったんだもん。

ロンブスの卵


『コロンブス』のカバーアートは立てられた卵。
それは、とても簡単で、そして一番難しいことの象徴だもん。

コロンブスが新大陸から帰ったあと、スペインで開かれた宴の席。
そこにいた、貴族や学者、王室に近い人たちはコロンブスに言ったもん。
「そんな発見、誰でもできるよね」
「進んでったら着いた、それ偶然でしょ。」
って。

大航海の功績を軽く見られたコロンブスは言ったもん。
「卵、立ててみて」って。
転がる卵を誰も立てることができなかった。
そこでコロンブスは卵をへこませて立てて見せた。

「そんなん、誰でもできるやん!」
それを見た人はそう言ったけど、コロンブスは、こう返すんだもん。
「あとから見れば、誰にでもできる簡単なことでも、最初にやるのは難しいってことだよ」

最初に成し遂げることの難しさを示したお話だもん。


ろろん、思うんだもん。
後から見れば、とても簡単なこと。
でも、最初に差し出すには、いちばん勇気がいる言葉。

「ごめんね」それは一番難しい言(こと)

謝ることは、正しさを疑うこと。
自分の欲望の先を想像すること。

自分が進んだ道が本当に正しかったか。
誰かを踏み越えてなかったか。
それを、立ち止まって見直す勇気。

進んでしまったあとでは、遅すぎるんだもん。
だって、言(こと)葉が追いつかないから。

元貴まるは、この、簡単で難しい卵を抱えて、寄り道したのかもしれないもん。

進んでしまう前に…
分かれてしまう前に…
争いを知る前に…

500万年前…。
「にんげん」がまだ、言(こと)葉を知る前。

もし、最初に手に入れたの言葉が 「進め」でも 「欲しい」でもなく 「ごめんね」 だったら…。
もし、栄光の裏側にあったのが征服や支配じゃなく 「ごめんね」 だったら…。

歴史は、少しだけ違っていたのかもしれないもんって。


元貴まるは「にんげん」の入口に、この 「ごめんね」 を届けようとしたんだと思うもん。
でも、言えなかった
届けられなかったんだもん。

その理由は、葬られた寓話に記された「哀」
ろろんは今もそう思ってるもん。

んでゆく


そして 地底の果てで聞こえる のは コロンブスの高揚

地底の奥、追いやられたその果て。
そんな届きようのない場所からも伝わる衝動だもん。

沸々と地底の果てから響く傲慢。
その探求を「悪」だとは言い切れない。
でも…。
制御ができなかったとき、取り返しがつかなくなる。
だから、傲慢の歴史を地底の果てに埋めるんだもん。

歌詞に出てきた コロンブス というフレーズ。
それは、英雄でも悪役でもなく、切り取られた存在として用いられてる。
傲慢を止められなかった「にんげん」の象徴だと、ろろんは感じるもん。

でも、「にんげん」は学ぼうとする。
学ぶことで、弱さを知るんやもん。
そして、その先ある選択。
見なかったことにするか、向き合うか。

この曲には、その弱さに寄り添うように 君を知りたい ってこぼれた思いがあったもん。
時代の大きなうねりの中じゃないもん。
すぐそばの 優しい孤独にそっと触れる ように置かれてる。

これは向き合う覚悟だもん。
寄り添いながらもまだまだ傷つけてしまう という矛盾を背負ってるんだもん。

分かり合おうとして、傷つけることがある。
善意が傷を負わせる結果もある。
同じ過ちを繰り返す歴史がある。

それでも…。
「にんげん」は進む。
日々の些細なことから、学んでゆくんだもん。

要だった楽曲


情景でもなく、感情でもない。
まぎれもなく、実在した歴史上の人物を指したタイトル。

どうして元貴まるはこの名を選んだもん?

触れることで、波が揺いでしまう。
この名はそんな危うい歴史を抱えてる。

波を揺らそうとしたもん?
ちがう…。

これは、忘れないためだもん。
避けちゃいけない歴史と、学ぶべき今を生きる「にんげん」であるために。

そしてそれは…。
ミセスの物語に必要だったんだもん。

セスの物語


ミセスにはストーリーラインと呼ばれるライブの系譜があるもん。
神話を重ねながら紡ぎなおし綴られるミセスの物語。
それは、華やかな演出を纏う特別なライブ。
でも、その奥にミセスの精神世界が広がってるってろろんは思うんよ。

最初からそうだったかはわからんもん。
でも、2025年の終わりにバベルが開催され、そこには確かにミセスの意味を背負った物語があったもん。
きっとミセスを映す一部として紡がれた物語やって、ろろんは思ってる。

バベルのライブ、すごかったもん。
演出はもちろん、バベルで感じたその奥の世界にろろんは言葉がでんかったもん。

べルの塔と『コロンブス』


2023年 バベルの構想ははじまってた。
Atlantisの最後に流れたバベルの映像覚えてるもん。
ミセスのストーリーラインは飾りじゃない。
あの裏にはちゃんと思想がある。
もちろん、バベルの塔にも。
そこにある共通の思想…。
それは…

生きてる限り、向き合う問いがあるってこと。

ろろん、思うんよ。
その思想をまるごと背負ったのが「コロンブス」かもしれんって。
はじまりは、無垢だったもん。
大好きな航海で夢のゴールにたどり着いた。
でも、夢の先で傲慢と欲望に溺れた。
その結果、世界史でもっとも評価が割れる名として現在も語られてる。

ろろんは、コロンブスさんとしゃべったこともないし、面識もない。
でも、取り扱い注意の危うい名前の足跡がこうして語り継がれてる。
その足跡が消えることはないんだもん。

2024年6月12日 コロンブスがリリースされた。
「さあ、あなたはどう向き合う?」
バベルに向かうその途中で、放たれた大きな問い。
元貴まるは、バベルの物語の布石としてこの名を放ったんじゃないかと思うんだもん。

今や日本の音楽シーンを代表するミセスという存在…。
数々の栄誉を手にして進んでいく大きなうねりの中にある。
まるたちから見れば、それは高い塔の上にいるような…。

元貴まるはその危うさをコロンブスに重ねたのかもしれない。
そして、目を逸らさず向き合う。
ミセスがミセスであるために。

この覚悟ってすごい重かったとろろん感じる。
だって、いま、これを綴ってるろろんが、重い覚悟の上にあるから。

実が証明したもの


この曲は、コカ・コーラのタイアップとして世に出た。
でも…。
MVをめぐる出来事で、関係が途切れたもん。
内側の事情は、外からは分からない。
ただ確かなのは、意図と受け取りが分断したっていう事実。
言葉より先に、社会が反応した。

当時、記事を見てろろんは思ったんやもん。
この歴史の根っこは本当に深いんやって。

中には楽曲をまるごと否定するものもあった。

歌詞の中で綴られたことばの通り、歴史の結果は消えることがない深い傷。
分かろうとしても、傷つけてしまう。
善意であろうとなかろうと…。

だから、伝わらない。

それは、かつての傲慢が立てた塔やもん。
今もなお、人々を分断し続けてる。

奇しくも、まるたちは、そのときすでに、バベルの塔が崩れたあとも残り続ける分断を、現実の中でみてたんよ…。

セスの選択


ミセスはライブという現実の場に、バビロンの街を置いた。
塔がせりだし、混沌が起こりうる配置。
コロンブスを世に放ったように、そこには問いがあった。

それは、リアルに刻まれたもん。
圧巻のステージの中で賞賛したひとたち。
塔に遮られて傷を負ったひとたち。
歴史の光と影そのものの体感を生んだもん。

でも、ミセスの塔は、崩壊の物語ではなかった。
学びの物語やもん。

圧倒的な塔を突きつけ、引っ込めた。
過去を清算せず、抱えたまま進むという選択だもん。
それは
危うさを抱えながらも、それと向き合い、同じ地平に立つ。
それは 平等な朝日と夜空
一番誠実な「にんげん」の願いなんやと、ろろんは思う。

箱の中


まるたちは、今を生きてる。
そして、この「今」は「にんげん」の歴史の一部として続いてる。

歴史は時代とともに整理され、 大逆転 する光と影がある。
まるたち「にんげん」はこうして進んできたもん。

ことばも繋がりもない時代。
ことばが生まれ、繋がりをもった「にんげん」が作ってきた時代。
そして現在…。
ことばが、「にんげん」を追い越してしまった。

取り消す前に世界が動く。
それは、日常の小さな窓から、時代のうねりに手が届いてしまう怖さだもん。

進むことは終わらない。
いつか僕が眠りににつく日まで 、歴史の一部として向き合い続けなきゃいけないんだもん。
まるたちは、ことばの手前で問う。
そのことばの光と影を背負う覚悟があるのかと。
そのことばがだれかの世界に傷を残すかもしれないと。
たとえ自分がいなくなっても、ことばの足跡は消えないから。

繰り返される歴史を背負いながら、「ごめんね」を抱えながら、潤んだ瞳の意味を生かす ために探す宝箱。
きっとそこに、未だ知りえない絶景に 辿りつくための道しるべがある。

そこにある長い歴史と、大きな問いをまるたちは背負ってる。

『コロンブス』は、まず1個宝箱を探す ための 意味しかない 学びの羅針盤。
元貴まるは投げかけたんやもん。

全部をわかるためじゃない。
最初の1個を探すために、学んでいこうって。

それが元貴まるの、ミセスの進み方やもん。
誰もおいていかない、同じ地平から届けられた曲やった。

ろろんはそう受け取ったもん。

トゥ ルル ットゥ~🕊 だもん。




られた寓話


今はもう見ることのできない、ある物語。
その記録は、この扉の向こうに置かれてる。
重みと向き合う準備ができた方のみ、そっと開いてもん。



それは、ある不思議な島で起きた、ほんのひとときの出来事。

小さな孤島。
そこに、言葉を持たない「幼い命たち」が暮らしていました。
彼らはただ、朝日を浴びて、今この瞬間を真っ直ぐに生きる無垢な存在。
何にも染まらず、ただ命を繋ぎ、自らの歩みで時間を過ごしていたのです。

ある日、その島に、遠い未来から旅人たちがやってきました。
旅人たちは、キラキラの文明の道具を、出会いと親愛の証として差し出しました。
彼らは無邪気に喜びました。
でも、彼らには差し出すものがありませんでした。
そこで、彼らは、旅人を次の目的地へと運ぶ足となって旅のサポートを買って出たのです。

ことばは通じなくても、そこには交流が生まれました。
歌い、踊り、奏で、共にテーブルを囲む。
その温かな交流は互いにとって、とても幸せな時間でした。

けれど、旅人たちが善意で差し出したものは、いつか影を孕むかもしれない種でもありました。
「教える側」と「教わる側」。
その境界が何を連れてくるのかは、まだ誰にも分かっていなかったのです。

旅人たちは、自分たちが進む道が、いつか争いや悲しみを生むことを予感します。
暗い部屋で、彼らは崩れゆく未来の映像を見つめ、そっと涙をこぼしました。
けれど、一度動き出した時計の針を止めることはできません。

旅人たちは、島の子らが眠りについた隙に、悲しみを背負い、島を去ることを選びました。
そして歩き出して気づくのです。
椅子に座らせること、テーブルを囲むこと。
旅人たちの常識の中で差し出した親愛の証は、幸せな時間を刻むと同時に、無垢の喪失のはじまりでもあるということを。
旅人たちが流した涙は、その不自然さに、気づき始めていたからなのかもしれません。

彼らが歩む足元には崩れた瓦礫が転がっていました。
やがて来る「その時」を知らせる文字が刻まれた瓦礫。
それは、いつか傲慢さゆえに崩れ落ちるであろう未来の塔の鳴れ果ての姿でした。


意味を宿して生まれて、息をするはずだった物語は説明を手放して、頭を下げることを選んだ。
その沈黙は、逃げではない。
進んでしまった者だけが引き受ける、胸の奥に置く重さだったもん。

そして、それは今もまるたちにに問いかける。
まるたちは、がれきの上にある「今」を生きてるんやで、って。

この物語は、にんげんが下ろすことのできない荷物と一緒に、魔法録の『哀』という学びの棚にそっと仕舞ってあるんやもん…。





   
【ぷちの観察日記】
魔法録のURLが、まるたちの知らないXアカウントのプロフィールに記載されているみたいぷち…。
魔法録のアカウントは @rolon_pichi だけぷち。
ほかは魔法録とは関係ないぷち。ぷち、しらんぷち。
あやしい風に、気をつけてぷち。(ぷちより)
   
  • 🌱 2026.01.11(ねむねむ午後)
    GOOD DAY』で、まるたちが葉っぱを散らしてたぷち
🍃 これまでの観察日記は妖精のあしあとにあるぷち。


まる
ふしぎの水面のほとり にもどる?
また来るときも、そぉっとね。
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