『lulu.』― そこに在る景色
🍃はじめに
『lulu.』という楽曲は、説明しようとした瞬間に、手をすり抜けていく。
感触があるのに届かない、そんな淡い透明度に満ちている。
構造を追えば緻密で、分解すれば見える論理もあるはずだ。
ただ、それでもわかった気になった途端、核心が遠ざかるように感じてしまう。
重いのか、軽いのか。
深いのか、やさしいのか。
強いのか、脆いのか。
どれも当てはまるようで、どれも言い切れない。
『lulu.』は感情を鳴らしていないのではないか。
明らかに、これまでのミセスの楽曲とは違う。
まさに「別格」と言えるほどの存在感を感じている。
それは『lulu.』が、景色そのものだからではないだろうか。
感情が生まれる「場所」や「時間」をそのまま音として届けられているのだとしたら、私の中で「別格」だと感じる理由に合点がいく。
なぜならこの曲は、音の景色を眺めることができない。
眺めるという距離がなく、自分がその景色の一部であることに気づくのだ。
私には、この曲が「説明できない」という事実を含んだまま存在しているように思う。
そしてそれは偶然ではないのだ。

え…。なにこれ💦
もう逃げたもん…?
まだ触ってないも~ん!

もう景色の中ぷち。
🍃『lulu.』の音
『lulu.』は、Mrs. GREEN APPLEがフェーズ3に入って最初に世に出した楽曲。
5大ドームツアー「BABEL no TOH」を経て、フェーズ2を駆け抜けた、その先に置かれた。
そして、この曲は、アニメ「葬送のフリーレン 第二期」のオープニングテーマでもある。
そもそも、「葬送のフリーレン」の物語を知っている者にとって、これから記すことは、 新たに意味づけされるものではなく、すでにどこかで触れている感覚に近いのかもしれない。
時間を生きること。
失うこと。
振り返ること。
これは、きっと前を向くことと同義だ。
そうしたテーマが、後からいくらでも重なって見えてくる。
『lulu.』はそんな楽曲だ。
この曲については、歌詞や背景、物語性から、さまざまな考察がなされていくだろう。
言葉は意味を成す。
歌詞の意味を読み取ることでほどかれる世界がある。
そしてそれらは、きっと、どれも間違っていない。
ただ、私は音を記す。
言葉ではなく、音がつくる空間と時間。
その中で見えたなにか。
この考察は、音の中にある『lulu.』である。

空気かわったぷち。
🍃音が先に時間を連れてくる
感情より先に、空間と時間が立ち上がってくる感覚がある。
イントロで鳴る藤澤のピアノは、とにかく美しい。
透明感があり、やすらぐテンポで、旋律そのものが語りかけてくるように感じる。
そこに大森の歌が、過去の気配と温度を連れてくる。
でも、なぜか、今いる場所ははっきりしない。
終わりが来たら なんて言おう
霧がうっすらとかかり、どうも周りの輪郭が掴めない。
けれど、そこには光があり、決して暗闇ではない。
木漏れ日のような眩しさを纏った、柔らかい空間。
ただひとつ、はっきりしていることがある。
それは、冒頭で記したように、私は外側からこの景色を見ているのではないということ。
この世界に立っている自分がいるのだ。
この音、『lulu.』の中に。

え、今いつ?!
ここ、どこ?
🍃音の空間
曲の印象が大きく変わるイントロ。
テンポは変わっていないはずなのに、時間だけが急に動き出したように感じる。
その場に立つ自分の周囲の風景が、めまぐるしく切り替わっていく。
まるで、時間そのものが主役になったような感覚だ。
アクセントの取り方が変わり、ベースの音数が一気に減ることで、音に隙間が生まれる。
その空間があるからこそ、16分音符が混じるリズムが、不思議とすっきりした疾走感を持って走り出す。
管楽器も、その隙間を正確に突いてくる。
有無を言わせぬ間に、「音の空間」が立ち上がる。
次に動き回るフレーズが現れたとき、それはごく自然に、曲の中へ溶け込んでいくのだ。
それは音の隙間を渡る自由な風のように思える。
そんな風に包まれながら、景色とともに、私もまた、そこに在ると思える。

風、通りすぎてくもん〜🍃
葉っぱなびいてるもん~🍃
🍃時間が動き始める
ここで鳴っているのは、答えではなく「状態」だ。
グルーヴが変わるたび、景色が変わる。
歌が入った瞬間、グルーヴはさらに大きく姿を変える。
知れば知るだけでいいのに~
光がうっすらと差し込む、深い森の中に迷い込んだような音の空間。
その中で、何か大切なことを必死に伝えようとしている気配を感じる。
刻まれる時間の中に漂う気配。
言葉で置き換えることのできないほど大切なもの。
探してみて、と言わんばかりに、そんな気配だけが膨らんでいく。
スネアの位置をずらすことで、全体の印象は一気にゆったりする。
バスドラは16分音符の裏を織り交ぜながら、イントロで生まれた疾走感を引き継ぎつつ、また別の空間へ案内されているようだ。
ベースは複雑に動いているが、休符の使い方がとにかく巧みだ。
大森、若井、藤澤、それぞれに絡みながらも、決して主張しすぎない。
それでいて、存在感ははっきりしている。
藤澤のピアノ、若井のギターも、本当にいいタイミングで入ってくる。
ユニゾンしているわけではない。
それぞれが、自分の役割をきっちりと果たしている。
このアンサンブルはパーティでありながら、個である。
互いに背中を預け合うような、信頼に満ちた個が織りなすグルーブを感じる。

探してるのか、見つかってるのか…。
もうわからんも~ん!!

それでいいんやぷち。
🍃同じ時間の別世界
グルーヴの変化は止まない。
忘れないのに~
同じ時間に、別の世界が鳴っている。
次元を超えた旅人が同じメロディを口ずさんでいるような感覚。
旅の途中で必ず出会っている、そんな音だ。
ドラムは、一つのフレーズの中で複雑に変化を重ねていく。
フィルの後、バスドラは1拍目に踏み込み、スネアは裏拍へ。
すぐに表へ戻しながら、さらにフィルを重ねる。
言葉にすると複雑なのに、聴いていて邪魔に感じる瞬間が一切ない。
その理由の一つが、ベースのフレーズにある。
シンプルな中に、抜群のタイミングで置かれていく音。
若井のギターが、ここで強く印象に残る。
大森の唯一無二のメロディに応えるように、もう一つの世界を描いている。
時間軸は同じなのに、見ている景色が違う。
時に散らばり、時に重なりながら同じ方角に向かっている。
一つひとつは別々の足取りでも、その軌跡を遠くから見渡したとき、それはパーティが辿った一本の道だ。
ここに来ると、ただ胸の奥が熱くなってくる。
魂が震えるような感覚だ。
それは決して大げさな表現ではない。

ぷちの足跡もつけといたぷち🌱
🍃正面に置かれた問い
いつかね もう少しね~
そこに温もりが確かにあるのに、なぜか感情が制御できなくなる。
それは、この曲が希望や問いかけを真正面から突き付けてくるからだ。
楽器隊はアクセントを揃え、音を爆発させるように厚みを増していく。
それを受けて広がる壮絶なメロディライン。
その狭間に置かれる ルルルル… というフレーズ。
自然と口ずさんでしまうと同時に、進み続けるしかない流れの中に、自分が置かれていることに、改めて気づかされる。
答えはなくとも、その流れとともに進むしかない。
穏やかで優しく、そして温かい流れだ。
そして、流れの中で、心が動かされる。
思いが強すぎるのか、この流れのせいなのか、その理由ははっきりしない。
なのに、感情の制御ができなくなるのだ。
何かから解放されるような、身を任せてしまうような。
ただ、素直になってしまう、というしかない。

「素直」って書いて「ろろん」やもん。

あほろろんぷち。
🍃重み
間奏は壮絶だ。
楽器隊の熱量が正面からぶつかってくる。
転調し繰り返される同じフレーズ。
ルルルル…
転調とは別の変化を感じる。
それは、重み だ。
そのせいで、まったくの別物にも思えてくる。
ルルルル…
一気に空間を駆け巡る風。
絶えず吹いている風は音の隙間を流れ、巡りを繰り返す。
ただし、同じ風に出会うことはないのだ。
この曲は、段落ごとに個性がある。
リズムの捉え方、メロディのアクセント、各楽器の役割。
どれもが噛み合って、一つのフレーズを完成させている。
何ひとつ欠けても成立しない。
それぞれが、それぞれの位置で、果たす役割の図面を持っている。
この楽曲としてだけではなく、ミセスの旅路として、また個の生き方として、まるで『lulu.』のカバーアートのような、そんな複雑な設計図なのかもしれない。
それは、何か一つが欠けただけで、崩れてしまう。
そんな危うさの上に立つ楽曲なのではないか、と思えてくる。
だからこそ、フェーズ3のはじまりとして、ここに置かれた。
そこにある確かな意思を感じずにはいられない。
🍃狭間の旅路
説明しきれないまま、確かに残る感触。
この曲が特別なのは、その曖昧さを欠点としていないことだと思う。
『lulu.』の音は語りかけるようでもあり、寄り添うようでもある。
ただ、決して立ち止まってはくれない、そんな側面を感じてしまう。
それが、聴き手をこの景色に引き込んでしまうということなのだろうか。
音そのものが、聴き手の時間と共鳴し、気が付けば、音の中へ入り込んでいるのだ。
それでいて、それぞれの歩幅で歩き続けることを肯定する、そんな無二の景色が広がる世界だ。
なんだ、これは、、、。
帰りたい場所がある 誰もがこの星の子孫
この楽曲が終盤に向かうにつれて、大きく包まれたかと思うと、聴き手の体感は不思議と軽くなる。
流れが自分を受け入れてくれたような温かさが続いていく。
音に温度を感じるというのが素直な感触だ。
そしてこの感触は、ただ過去を振り返る音ではないことを教えてくれる。
懐かしさに留まることも、感傷に沈むこともない。
むしろ、記憶を抱えたまま、次の時間を刻み続けている。
だからこそ、聴き手は不思議と安心に身を置き、また同時に、どうしようもない揺さぶりを受けるのかもしれない。
これは、考察というより、私が、「魂が揺さぶられる」と感じたことのひとつの答えでしかない。
『lulu.』は、バベルと地続きであり、フェーズ3の始まりという位置に置かれた。
時間を生き続ける物語と重なりながら、それでも一つの意味に回収されることを拒んでいる。
同じ音を聴いている誰もが、それぞれの物語の中を歩くからだ。
受け取られる形は人それぞれで、その数だけ別の旅路が広がっていくのだと思う。
この楽曲は、瞬間のためだけに消費されるものではない。
時間を越えて、何度も立ち返り、そのたびに違う表情を見せながら生き続ける。
『lulu.』は、景色そのものだ。
だからこそ、後世に伝えるべき楽曲だと、私は強く思う。
少なくとも、私にとっては。
バベルの会場で配られた手紙を読み返す。
「愛しのluluへ」
ここに記されたことばが、すべてを物語っている。
✎﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏
歌詞からほどいた解釈は、また、魔法録の妖精が水面に浮かべるだろう。
そのとき、そこにどんな景色が見えるのだろうか。

っふふふ~ん もん〜🍃
A magical record drawn from a captured moment.
『lulu.』 ― Stream Version
Mrs. GREEN APPLE
🍃 Official site
