On January 12, the release of 『lulu.』🍃

【familie】人として歩き出すミセスの旅の栞

魔法録の妖精がミセスの作品『familie』に寄り添い紡いだ物語。
これは、単なる歌詞の考察ではなく、作品を深く掘り下げ、その背景や思想、そして世界観までを含めて体系的に分析・研究した「作品論」です🍃

ろんがほどいた familie の奥の景色


ミセスのデビュー10周年を迎えて、BABEL no TOHがいよいよ、というときに、ようやく、ろろんの中でfamilieの奥の世界がほどけた。

それは、ろろんがこの曲を好きだった理由が浮かび上がった瞬間。
だから、ここにそっと水面に浮かべておくの。
ろろんの見たfamilieの景色なんだもん。

の栞「familie」


familieは、ミセス結成10周年という節目に元貴まるが描いた「旅の栞」だったんだもん。
「君に見せたい景色」の「君」は 若井まる と 涼ちゃんまる。

若井まる と 涼ちゃんまるにドキドキしながら告白してるだもん。
自分の好きで満たすこの物語を、「どう思ってくれるかな」って。

「言い過ぎな気もする」なんて冗談いいながらも、「その瞬きの側に居させて」ってね。
これって、とっても元貴まるらしいなって思っちゃうんだもん。

ミセスが走ってきた10年には、自分たちでどうにもならないこともあったもん。
でも、ニュー・マイ・ノーマルでフェーズ2の幕を上げた。
そして自分たち自身が「燃料となり」次の物語へ進む覚悟を掲げてるんだもん。

ゴと愛、その境界


元貴まるが感じる自分のエゴとの境界。
それが「どこまでがただ愛と呼べるんだろう」って自問なんだって思うもん。

支え合えながら孤独を何度も確認してきた重みを感じちゃうんだもん。
ステージのキラキラ、見知らぬ場所、当たり前の時間、共有しながらミセスを背負う自他ともに認める核としての存在、それが元貴まるなんだもん。

元貴まるのベクトルでミセスの行く先が決まってる。
それがきっと、きっとわかっちゃう。
今更だけど、ぐるぐるする日もあるかもしんないもん。

だから…。
元貴まるは旅を共有するためにここにfamilieという栞を書いた。
ミセスのヒストリーが始まるんだよって。

通り過ぎた風の匂い、刺された棘も温もりも、時間の軸が動けば全部過去のメモリアルだもん。
BFFの歌詞で「起こした奇跡の数を数えることを忘れてね」って元貴まるは歌ってる。

メモリアルって、思い出に満足するんじゃなくて、進むためのしるしなの。
そのしるしの最初に刻まれたのは「いつもStaRtでいよう」って誓い。

「温かな大事なモノ」
同じ誓いと時間を共有できる確かなもの。

「唯一のファミーリエ」
元貴まるにとって、この旅の唯一無二。
そう・・・それはミセスでしかないんだもんっ!

がるミセスの形


2番の歌詞で視点がかわる。
「”僕” に見せたい景色がある」って。

ただ、僕に見せたいだけの景色じゃないってこと。
これはね、ミセスという走る車から見る景色。
「ミセスであることで見える景色を 僕に見せたい」んだって思うんだもん。

この景色は特別な景色なんだもん。
元貴まるが背負うミセスをこの航路にいざなったこと、きっと不安の旅でもある。
だから「間違ってないもんね?」って時々確かめてしまう。
ただ、不安はいっぱいあったとしても、その絶景へ想像は膨らんでる。
そしてこぼれちゃうんだもん。願いが。
「いつか」この旅を選択した「自分を認めてあげられるかな」って。

そんな中で元貴まるに起きた変化が次に続いてる。

「全部自分が」って部分が、いつのまにか「譲れない部分」に。

元貴まるという「点」は、やがて「線」になって、ミセスという面になってる。
ミセスの形を成す角度が、今広がってるのはまるたちも感じるんだもん。
これって、ミセスを背負うことのバランスが少しずつ変化してる。

「いつの間にか 全てじゃなく譲れないところが増えてゆく」
これは、ミセスの変わらない芯が共有されていく世界線。
元貴まるにあるのは、譲れない「部分」であって、それはもう「全部」じゃない。
元貴まるは、ここへ導いてきたのかもしれないもん。
そして、今ミセスの形が満ちていることに気づいたんだと、ろろんは感じるんだもん。

であることを選ぶとき


元貴まるはこう記してる。
「どうかしてんじゃないかって思う」くらいの突然の衝動はきっと訪れるって。

別の扉が開いたり、新しい好きが生まれること。
若井まるにも、涼ちゃんまる、そして元貴まるにも、そんな衝動に巡り合う場面はあるもん。
それは生きていれば当たり前。
特別なことなんかじゃないんだもん。

でも、「ミセス」には当たり前ですまない重みにもなる。

思いもよらない波にのまれちゃう出来事になるかもしれない。
ミセスという砦に一抹の不安要素として存在するリアルなんだもん。

だからこその、ミセスの選択。

それが
「これからだ さあ 人になりましょう」
なんだもん!

ミセスは機械や偶像ではなく、ちゃんと揺れて、ちゃんと悩んで、弱さを持ってる。
人間だもん。
生きてるんだもん。

だから、傷つくことも、立ち上がることも含めて、飾らず、そのままのにんげん。
ろろんには、そう言ってるって気がするの。

途中でしゃがむこともあるし、疲れることもある。
何度も膝をつくけど、それでもいいもん、歩き続けよう。
休んだり、立ち止まったり、傷ついたり、それも含めてミセスの旅。
完璧じゃない僕ら(=ミセス)の姿でいい、隠さなくていい。
だからあえてここで「ミセスは人であること」を掲げる意味があったと思うんだもん。

実際、ミセスはもう大きな時代の波の中を泳いでる。
ミセスがどれほど強固な殻でおおわれていようと、時代の波の中では「たらい回し」だもんね。

例えば、メディアやファンが起こす外の波に翻弄されて、ミセスの内側が揺れてしまうかもしれない。
でも、そんなとき、たとえ「心にも無いような 言葉でいがみ合えど」、ミセスには「解けない魔法と現実」があるってことを、改めて伝えてるんだもん。

これはミセスの関係性のリアル。
魔法=起こした奇跡
現実=歩んできた軌跡
この2つは解けないんだって、そういうことだって、ろろんは感じてるもん。

だって、どうにもならない波に襲われても壊れなかったミセスがここにある。
いつかのメモリアルは、あの日確かに刻まれた揺るがない時間の記憶だもん。

ーフォリアの正体


ユーフォリアって、憧れの、希望に満ちた夢のような世界。
それは理想郷だもん。

familieの旅の栞をほどいていくと、その場所って、ひとつしかないもんね。
メモリアルじゃないもん。
思い出は「過去」であって「今」じゃない。

あたりまえに今そこにあって、しかも、普段は言わないけど、実は気づいてる。
「ほんとは」って、これがキモ!

それはまさに今、「元貴まるが手にしてる現実」の中にあるもの。

そうなの!!
ミセスこそがミセスにとってのユーフォリアなんだもん!!

の日の後部座席


ここで歌詞に登場する「後部座席」をろろんはこう思うの。
機材車に乗り込んでたあの日のミセスことだって。
だって、これはミセスの旅の栞だもん。

あの日の後部座席から見た景色。
遥か遠い希望の丘とか、通り過ぎる街並みとか、まぶしい青空とか、ライブの帰路で見上げた月。
そう、あの頃のミセスがみてた景色。
あの日のトキメキや不安、希望を、小さなバブルの中に閉じ込めて走ってきた。

これって「familie」のカバーアートの景色なんだもん!

これは、ただの愛じゃ言い表せないほど濃密で深い時間に刻まれた軌跡。
ミセスがここまでのミセスになる礎みたいな時間。
それを全部ひっくるめて「どこまでがただ、愛と呼べんだろう」ってふと思っちゃうんだもん。

元貴まるの言う愛は、どこまでも純粋で無垢な夢や希望を秘めた「思い」。

その中で、元貴まるには、ふと感じる「ひとり」がある。
ステージにたつたび、新しい扉を開けるたび、「ひとり」を知る。
それはきっとこの先も。

ただ、それは、どれだけ支えられてるかを知る瞬間でもあるんだって思うもん。
新しい扉の向こうへ風に運ばれるたび、大切なものを感じることのできる「ひとり」。
だからこそ、ユーフォリアを感じることができる時間でもあるんだもん。
ミセスの大切が刻まれていく時間なんだもん。

章の終わり


旅の本題はここからだもん。

「ここまでが ただ、序章と呼べんだろう」

今までの全部…あの後部座席の景色も、愛も、迷いも、ユーフォリアさえも序章ってことだもん。
これは、この旅を始めた元貴まるだから言えること。

familieのリリースは2024年8月。
結成10周年に達したミセスに「ここまでが序章だよねっ」て言ってるの。
元貴まるは、ミセスの地図にちゃんとこれまでしるしを残してる。
最初に残したはじまるのしるしは『Variety』。
その時、ミセスの物語のページが開かれた。
そして、デビュー10周年を目前で、序章の次のページを予感させる。

しかも

「終わらせ方は僕次第 泣けるエンドを」

ってここ!!!
ここね、最初ゾクッてして…そのあとヒィィッてなったけど……
これってつまり……

「僕」がこの序章のエンディングを決められる立場にあるってことだもん。
それは、「創作者としての元貴まる」の視点。

これはめちゃくちゃ本音のラインに見えるんだもん。

たとえばね……
ミセスをどこで終わらせるかも「僕」次第
ライブや表現の終わらせ方も「僕」次第
作品に区切りをつけるのも「僕」次第
人生さえも全部、「僕」が選ぶって。

けど…。

をさらけだす


「終わらせる」と言いながら、求めてるのは「泣けるエンド」なんだもん。
綺麗とか、素敵とか、最高とか、かっこよく じゃなくって 泣けるエンド。

これって、僕が選んだ結末で、君に涙させるよ ってことだもん?
このふわふわのメモリアルや愛を確かめる旅路の中で、喪失は描けない。
だから、かなしみのなみだじゃないんだもん。
これは 「泣くほどの愛を証明したい」ってことだとろろんは解釈したもん!
だって、famiie全部が愛の表明なんだもん!

「ここまでが序章」=10年やってきたことが、ようやく始まりだった
「終わらせ方は僕次第」=創作者としての責任と孤独
「泣けるエンドを」=終わりのしるしは“愛であふれたものにしたい”

これしかないってろろん思っちゃったもん。
泣けるエンドって!!

この先も「どこからか」新しい風が吹いてページは進む。
そしてミセスがページに刻まれていく。

それがどんなページだったとしても
「感情は忘れないでしょ?」
だもん!!!

活動を重ねた軌跡の中で、交わした気持ち・感情・体温は絶対忘れないよね?って問いかけてる。

忘れるわけないもーーんっ!!


元貴まると、若井まる涼ちゃんまるは、それを築きながら旅をしてるんだもんっ!

だから、いつだって帰れる場所なの。
だってそこは、愛すべきミセスそのもの。

この場所こそが「愛しのファミーリエ」なんだもん!

の向こうの未来


familieが、初めて演奏されたのは スタジアムで行われた2024年のゼンジン。
まだリリース時期をしらされないまま、『familie』は披露されたもん。
これにはきっと意味があるって思ってる。
だって、ゼンジンだもん。
ミセスの旅のしるしをつけるには最高の場所。

そしてもうすぐデビュー10周年の年が終わろうとすることのとき、長く構想を重ねられた「BABEL no TOH」が始まる。

ろろんは、ここで今、ようやくfamilieの深みを感じたの。
リリースから1年以上たって、やっとfamilieの歌詞の物語が見えた気がしてるんだもん。

にしるしを刻む歌


ミセスが人であるための旅の栞。

familieは、過去のメモリアルを閉じ込めるうたじゃなかった。
未来に希望を描く歌でもなかった。

敢えて言うなら、「ミセスが、今にしるしを刻むための歌」だったんだって思うんだもん。
だってね「終わりと始まりをどう受け止めるか」っていう覚悟が刻まれてる気がするんだもん。

もしかしたらね、まるたちには見えないけど、あの塔の向こうに新しい橋が建てられてるのかもしれない。
もうすぐあの塔の世界が現れる。
元貴まるは、そしてミセスは、何を思っているかな。
そしてまるたちは、何を思うのかな。
でも、その時、またミセスの新しいページがめくられる。
愛しのファミーリエと一緒に、ミセスの旅の栞を、ろろんもちゃんと握りしめておくもん。

2025年——10周年という節目に、静かに“原点”が呼吸をはじめる。
風の奥でひらくその音のかけらたち、ろろんたちはもう見てるもん。
そして、この先もずっと、ろろんはミセスの魔法録を大切に刻んでいくんだもん。



   
【ぷちの観察日記】
魔法録のURLが、まるたちの知らないXアカウントのプロフィールに記載されているみたいぷち…。
魔法録のアカウントは @rolon_pichi だけぷち。
ほかは魔法録とは関係ないぷち。ぷち、しらんぷち。
あやしい風に、気をつけてぷち。(ぷちより)
   
  • 🌱 2026.01.07(たそがれモード)
    青りんごぼーど』についてまるたちが話し合ってたぷち
🍃 これまでの観察日記は妖精のあしあとにあるぷち。


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また来るときも、そぉっとね。
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