魔法録の妖精がミセスの作品『Loneliness』に寄り添い紡いだ物語。
これは、単なる歌詞の考察ではなく、作品を深く掘り下げ、その背景や思想、そして世界観までを含めて体系的に分析・研究した「作品論」です🍃
これは、単なる歌詞の考察ではなく、作品を深く掘り下げ、その背景や思想、そして世界観までを含めて体系的に分析・研究した「作品論」です🍃
『Loneliness』は、愛憎劇でも、刺激的なエロティック描写ではなくって…。
ろろんには、『Loneliness』はそういうんじゃなくて…。
「ことばと音のギミック」が仕掛けられてるって思えるんだもん。
この叫びは他人に向けた懇願じゃなく、自分自身に突きつけた声なんだもん。
動けなくなる前に、弱さや甘えを断ち切りたい
――そんな自己処刑の願いに聞こえるんだもん。
ろろんは違うと思うんだもん。
これは“もうひとりの自分”。
弱さや孤独を抱えた内側の存在への呼びかけ。
「君を好きでは居たい」=どんな自分でも嫌いになりたくないって心の奥の意思なんだもん。
ことばを変えて、形を変えて、元貴まるは何度もこのことを伝えてる。
これはそんな元貴まるの言葉だと思うんだもん。
ろろんには、『Loneliness』はそういうんじゃなくて…。
「ことばと音のギミック」が仕掛けられてるって思えるんだもん。
黒い夜に呑まれる前に
「死にたい今日も」「私を殺して欲しい」この叫びは他人に向けた懇願じゃなく、自分自身に突きつけた声なんだもん。
動けなくなる前に、弱さや甘えを断ち切りたい
――そんな自己処刑の願いに聞こえるんだもん。
君=もうひとりの自分
歌詞の中に現れる「君」って、本当に恋人なのかな?ろろんは違うと思うんだもん。
これは“もうひとりの自分”。
弱さや孤独を抱えた内側の存在への呼びかけ。
「君を好きでは居たい」=どんな自分でも嫌いになりたくないって心の奥の意思なんだもん。
ことばを変えて、形を変えて、元貴まるは何度もこのことを伝えてる。
これはそんな元貴まるの言葉だと思うんだもん。
性の二乗=サガ(宿命)
ここが大きな鍵なんだもん。「性(セイ)」を SEX や GENDER と読むと刺激的なだけだけど、サガ(宿命、本性)と読むとまったく違う景色が見えるんだもん。
生きたい自分と壊したい自分――。
二つの衝動がぶつかり合い、掛け算されて“二乗”になり、逃げられない力になっていく。
これは、自分自身の本質どうしがぶつかる戦いなんだもん。
爆音とロンリネス
「爆音で脳と胸を焦がして」これって、感情や衝動そのものを「爆音」にたとえてる。
そしてその「爆音」は、理性を焼き切ってしまうほどの強烈さだって。
論理には意味なんてない、そんな意味のないことでロンリネスを紛らわす。
もうね、理性では処理できない感情の奔流。
わかる?
爆音で紛らわしてるんじゃないんだもん。
爆音のような感情に襲われて、もがいてる姿なんだもん。
孤独(loneliness)でありながら、同時に「論理ネス(論理性)」とも重なっていく。
論理を積み重ねて意味を探そうとしたところで、この爆音のような感情は処理できない。
孤独と論理、そのあいだに引き裂かれ、意味を失ったまま感情に呑まれているんだもん。
あそこもここも濡らして
「絶頂ね あそこもここも濡らして」ドキッとする強烈な一行だもんね。
でも、これを官能描写だけで終わらせるのはもったいないんだもん。
すぐ後に「錆びついた心に油をさして」って続いてる。
これは渇いた心を潤し、再び動き出させるための比喩。
これって、あそこが脳で、ここが胸かもしれない。
カラカラになっちゃって潤してほしくて濡らすしかない。
触れられたいけど、触れないでほしい、でも感じたくて感じてほしい。
こんな矛盾の海だもん。
でもね、お行儀よく分析するのはナンセンス。
ここは理屈じゃなく、官能的な世界観で感じるべきなんだもん。
ステージでの解放
『Loneliness』は、絶望から始まり、もうひとりの自分と対峙し、爆音や濡らしてといった過激な比喩を通して「生き延びるための力」を描いた物語。だから、これってエネルギーはきっと外に向かわなきゃ完成できない。
この曲が持つ孤独とサガの衝突が、演奏の場では爆発的な解放へと変わってるんじゃないの?
押し込めてきた衝動を音と声で一気に解き放つ気持ちよさ。
痛みや孤独が、演奏することで「快楽」に変わってる。
もう二重性のギミックが成立してるんだもん…。
元貴まるが『Loneliness』を作ったのってこの解放に導くため?
『Loneliness』がアルバムでリリースされてから、ライブで披露されることが多いなって。
ステージで解放することがこの曲の使命だから?
圧倒的なエネルギーに演者も観客も吸い込まれるように魅了される。
ミセスは「Lonelinessを演奏するのは楽しい」って言ってた。
この強烈な孤独の戦いを描いた曲を、作家も、奏でる演者も「楽しい」と言うし、観客は孤独の痛みに寄り添うどころか「この曲気持ちいい!」「ロンリネス大好き!」って。
あれ? やっぱり?
ちゃんと、ステージで解放されてるんだもん。
だとしたら、『Loneliness』を生んだ元貴まるの内なるロンリネスの深さは計り知れない。
自分の中のもうひとりの自分と戦い続ける姿。
それは「サガの二乗」として描かれ、ライブの中では爆音のような解放として体験されてる。
これは元貴まるという人の作詞の本質をよく示しているんだもん。
エロティックで破壊的な言葉を並べても、最終的には「どう生きるか」「どう向き合うか」に帰ってくる。
言葉と音が重なったとき、そこには痛みと孤独を超えて「生の快楽」に変わるんだもん。
ひとりの掛け算
Lonelinessって、ふつうなら「孤独」。でも、『Loneliness』は「ひとりぼっち」じゃなくて、自分の中で二人に分かれた孤独を指しているとろろんは思ったの。
一方では「生きたい」って叫ぶ自分。
もう一方では「壊したい」って望む自分
その二人が、同じ身体の中で戦い合ってるって。
だから、これは二重の孤独。
「自分の中で戦うことそのもの」がLoneliness。
そしてそれは「苦痛」だけじゃないんだもん。
これこそ、ドキッとなるところ。
逃れられない孤独は、同時に生きるための燃料。
矛盾のまま抱えていく、そんな宿命的な言葉なんだもん。
哲学と解放のギミック
ミセスがライブで演奏することで解放するギミック。そして、それを観客が体感することで楽曲が完成するギミック。
『Loneliness』には、こんな二重のギミックが仕掛けられてる。
このギミックこそが、元貴まるが描く『Loneliness』なのかも。
理性(論理ネス)と感情(爆音)の対立
意味の喪失
矛盾・対立…。
これは哲学のお話なんだもん
その答えがただひとときのステージでの解放…。
うわぁぁぁ!
これがろろんの解釈。
だって、元貴まるなら…。
そんな仕掛けを忍ばせてたとしても不思議じゃない。
ろろんは、そう思ったのだもん。